ユニット
2012年5月20日happymtgで新しく連載を始めた工藤耕一氏が
ユニットという概念について話をしている。
http://www.happymtg.com/column/kudo01/6258/
デッキを役割単位のパーツで見ようという考えであり、
パッケージと呼ばれているものに近い。
但し、役割ではなくカードの組み合わせそのものを指し示すパッケージで見た場合、
(本文にあるように)
BantとUWに入る"石鍛冶+装備品"(通称、石鍛冶パッケージ)に、違いはない。
ユニットという見方をすると、
そこに有意な差異を見出せるということである。
デッキ内のカード(組み合わせ)の役割をしっかりと把握するための
ユニットという言語化であり、分割であると言える。
スタンダードでの話をしたい。
レガシーでも通用しているカードとして、
緑の太陽の頂点がある。
"緑の太陽の頂点と緑のクリーチャー"というユニットと言える。
これが2T目に極楽鳥を持ってくるのか、
5T目に高原の狩りの達人を持ってくるのか、
7T目に原始のタイタンを持ってくるのか、
はたまたシガルダやアヴァブルックの町長をユニークに持ってくるのか、
それはデッキによって全く違うし、
例えば共に"4T目に緑の太陽の頂点から高原の狩りの達人を持ってくるプラン"を
立てられる赤緑ステロイドとケッシグでも、その意味合いは大きく違う。
赤緑ストロイドであればフィニッシュ(具体的なキルターン)を見た動きであろうし、
ケッシグであれば手札に控える原始のタイタンの為の露払いかもしれない。
ユニットは、"相手のデッキ(と手札)を推察する"上で、
明瞭とさせてくれる考え方だと思う。
相手のデッキレシピ自体を知らなくとも、
パーツ単位で考えることで、実用的な範疇で
その正体を見破り易くしようとしている。
現地点での"相手のデッキをユニット単位で捉えること"の綻びとしては、
いわゆるシークレットテクニックのカードや動きだろう。
劣るカードパワーで尖る戦法を取るカード(ユニット)に対して、
対処を切り捨てざるを得ない。
"理想のユニット"への対処で、
シークレットテクを対処できるなら言うに及ばないが、
基本的にシークレットテクは"理想への対処"への対処であることが多いので、
背反的である。
切り捨てざるを得ないと言っても、ユニットという考え方で、プレイヤーは
必ずしも相手のデッキをユニット単位でしか捉えてはいけないという話ではなく、
デッキレシピの把握やシークレットテクへの更なる対処によって、
対戦自体をスムースに運ぶことは勿論できる。
個人的に、こうした
「対戦において"対戦中のセンス"の必要性を削ぎ落としていく」理論は、好ましい。
センスではなく論ということは他人に説明がしやすいし、
他人に説明がしやすいということはグループ全体に伝わりやすく、
グループ所属してる人たちのセンスの有無に関わらず
グループ自体が得られる経験値の総量が多い。
こうした有益な理論の公言をしてくれるhappymtgを応援しているし、
全体としてももっと構築理論の遣り取りが活発になって欲しいと願っている。
工藤氏のユニット概論は続くようなので、読んでいきたい。
ユニットという概念について話をしている。
http://www.happymtg.com/column/kudo01/6258/
デッキを役割単位のパーツで見ようという考えであり、
パッケージと呼ばれているものに近い。
但し、役割ではなくカードの組み合わせそのものを指し示すパッケージで見た場合、
(本文にあるように)
BantとUWに入る"石鍛冶+装備品"(通称、石鍛冶パッケージ)に、違いはない。
ユニットという見方をすると、
そこに有意な差異を見出せるということである。
デッキ内のカード(組み合わせ)の役割をしっかりと把握するための
ユニットという言語化であり、分割であると言える。
スタンダードでの話をしたい。
レガシーでも通用しているカードとして、
緑の太陽の頂点がある。
"緑の太陽の頂点と緑のクリーチャー"というユニットと言える。
これが2T目に極楽鳥を持ってくるのか、
5T目に高原の狩りの達人を持ってくるのか、
7T目に原始のタイタンを持ってくるのか、
はたまたシガルダやアヴァブルックの町長をユニークに持ってくるのか、
それはデッキによって全く違うし、
例えば共に"4T目に緑の太陽の頂点から高原の狩りの達人を持ってくるプラン"を
立てられる赤緑ステロイドとケッシグでも、その意味合いは大きく違う。
赤緑ストロイドであればフィニッシュ(具体的なキルターン)を見た動きであろうし、
ケッシグであれば手札に控える原始のタイタンの為の露払いかもしれない。
ユニットは、"相手のデッキ(と手札)を推察する"上で、
明瞭とさせてくれる考え方だと思う。
相手のデッキレシピ自体を知らなくとも、
パーツ単位で考えることで、実用的な範疇で
その正体を見破り易くしようとしている。
現地点での"相手のデッキをユニット単位で捉えること"の綻びとしては、
いわゆるシークレットテクニックのカードや動きだろう。
劣るカードパワーで尖る戦法を取るカード(ユニット)に対して、
対処を切り捨てざるを得ない。
"理想のユニット"への対処で、
シークレットテクを対処できるなら言うに及ばないが、
基本的にシークレットテクは"理想への対処"への対処であることが多いので、
背反的である。
切り捨てざるを得ないと言っても、ユニットという考え方で、プレイヤーは
必ずしも相手のデッキをユニット単位でしか捉えてはいけないという話ではなく、
デッキレシピの把握やシークレットテクへの更なる対処によって、
対戦自体をスムースに運ぶことは勿論できる。
個人的に、こうした
「対戦において"対戦中のセンス"の必要性を削ぎ落としていく」理論は、好ましい。
センスではなく論ということは他人に説明がしやすいし、
他人に説明がしやすいということはグループ全体に伝わりやすく、
グループ所属してる人たちのセンスの有無に関わらず
グループ自体が得られる経験値の総量が多い。
こうした有益な理論の公言をしてくれるhappymtgを応援しているし、
全体としてももっと構築理論の遣り取りが活発になって欲しいと願っている。
工藤氏のユニット概論は続くようなので、読んでいきたい。
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