http://mtg-jp.com/eventc/ptams10/article/008381/
日本勢は、なぜ勝てなかったのか。

現行のMTGの日本人プレイヤー間の慢性的な問題が
幾つか提唱、明記されています。
大会形式の変化や練習の不足は
慢性的な問題とは言えないので、今回は置いておきます。

人員の欠如、言語の壁、交流の拒絶。
主にこの三つです。
言語の壁と交流の拒絶、
人員の欠如と交流の拒絶はそれぞれ
密接とした問題ですので
根幹にあるものは一つだとも言えます。

>だが中村は、ある種の排他性があるのではないかと指摘する。
>中村 「これは一般論ですが、日本人はやっぱり保守的なんだと思います。
たとえば、日本のプロはMagic Onlineで経験を積んだ
いわゆるMO出身のプレイヤーに対してつめたいと思う。
異質なものに対して許容することが出来なくて、
コミュニティがより閉鎖的になっていっているのかもしれない」

個人的にはこの一節が多くを語っているように思います。
MTGに限らず日本のサブカルチュアは
総じて小さいコミュニティによって形成運営されています。
そしてそれは外側から見れば非常に排他的閉鎖的内向的です。

その排他性が培うものは強力なチームワークであり、
任意の(友情が成立させる)自由の利く場所と時間と内容
(mtgで言えばデュエルスペースと時間とフォーマット)であり、
そのメリットは確かに他に替えがたいものがあります。

しかしながらデメリットも強烈であることも意識しなければいけません。
既に発売から十五年という歳月を経て古典と呼ばれるサブカルチュアの
(それも他のサブカルチュアと比較して、なお排他的な)
コミュニティに今、好き好んで入る一派は多くありません。
人員の欠如と交流の拒絶が交差する問題点です。
交流の拒絶が人員の欠如を生み、
人員の欠如がコミュニティを矮小化して
更に交流の拒絶を強いる。

これはコミュニティに"入らない"、"入れない"多数派に異を唱えるのではなく、
コミュニティ側の排他性の問題なので、コミュニティ側を非難します。
特にこうした問題点が明確に示されているなかで、
最も明解な解決方法であるところの"門戸を開く"-…
"コミュニティを広く浅くする"という手段が取れていない、
またそうした手段をとろうともしない現状は、危機管理能力の不足です。

広く浅くする-…の具体的な挙動は、
まず現状のコミュニティの崩壊から成立します。
現状の、矮小化したコミュニティがそのまま肥大化する形式もありますが、
そうするとそれは中心部(プロプレイヤーやリーダー的な人物)の密度が高くなり、
外周部(新規参入やカジュアルプレイヤー)は
嫌が応にも中心部の不透明な意思に振り回されることになります。
そして密度の薄い外周部は先述のコミュニティのメリットを
存分に活かすことが出来ず、デメリットばかりの立場という
身分格差のようなものが発生します。

その格差のようなもの-…はっきり格差とします。
格差は現状でも、客観的に確認できます。

身内とだけ熱心にカードやプレイについて語り合い、
試合で当たった新規組とはまま口も聴かず
勝っても負けてもすぐ身内のところへ行く、
或いは観戦していた身内と話し合う。

規模の大小を問わず大会で良くみる光景です。
友達と会話をするなという話ではなく、
外部との交流の機会を持とうともしない。
という拒絶的排他的な態度が格差となります。

凄く言葉を悪く書くと、
「なんでこの人はこんなに態度が悪いのに、
周りで見ている友達は何も注意しないんだろう。
ああそうか、これが普通なんだ。」と新規組に思わせます。
そして逆説的ですが、やっぱり"それ"が普通だから、
友達が注意しないんですよね。

"noob"という俗語は本来風刺的皮肉的に
ベテラン勢に使われるべき言葉ですが、
意味そのまま新規組に対して使うような現状
(態度なども含めて、ですね)は
美しくも賢くも発展的でもありません。
ただただ閉鎖的なコミュニティの典型です。

MTG自体はとても素晴らしいカードゲームだと思いますし、
試合前に挨拶する習慣が根付いていたり、
ジャッジが細かい疑問質問にも答えてくれる体制は感動さえしますが、
結局新規組の心の印象に残るのは対戦相手なので、
プレイヤー各人が配慮しなければいけません。

プレイヤー各人、という書き方をしたので続けますが、
今回の問題提起をプロの問題。自分たちには関係ない。と見るのは誤りです。
MTGプレイヤー全員への問題提起であり、
コミュニティへの問題提起であり、
もちろんプロプレイヤーたちへの問題提起でもあり、
プレイヤー各人への問題提起です。

ここまで明確に、また多くの人の目に触れる形で問題点が示された機会は
知る限りありませんでしたから、
各人-…特に"中心部やその近辺"のメンバーの
意識改革があれば、コミュニティは変化出来るはずです。
(出来ないということはまだ証明されていません。)

中心部のなかでも更に一握りの人間だけが
外周部を呼び込んでいるのが現状です。
コラム、サイト、ショップ。
いずれか、集客力を有するコンテンツを"やっている"人たちです。

では意識改革したメンバーがそのいずれかをやれば良いのか、
というとそういう話ではありません。
いずれも意識だけでどうこうなる話でもありませんし。
(ファンサイトを開くことを特段難しくはありませんが、
安定して人の目に触れるかというとその保障もありません。)

ここまでとてもMTGのプレイヤーの現状を否定的に書きましたが、
別の方角から客観視すれば現場はとてもアットホームという書き方も出来ます。
しかしフレンドリーではありません。
"日本人的"とも言えるかもしれませんが、
トレード以外で"見知らぬ人に声をかける人"を殆ど見ません。
それが良いか悪いかではなく、閉鎖的と呼ばれる一因です。

繰り返しますが仲間内の会話はとても楽しいものですので、
それそのものを否定する気はありません。
その楽しい会話を、雰囲気を、
もっと他の人とも共有できれば良いなという意識を持つ。
実際、普通のプレイヤーが出来る意識改革ってこのぐらいだと思います。

言語の壁の問題ともここで交差します。
"日本人"は極端に実用思考すぎます。
それを外国人との交流でも成立させようとしますから、
事務的な会話になり、正しい単語が必要になり、
アカデミックな勉強を自分で必要としてしまい、
交流にまで至れないのです。

今回のソリューションカードは《壌土のライオン》ということであり、
"なぜそこにたどり着けなかったのか"という疑問体の反省が
何度か繰り返されていますが、
《壌土のライオン》にたどり着いた人と交流してなかったから。
というのもその答えの一つとして間違っていないと思います。

反対に赤青昇天が"バレていた"ことについても言及しており、
"防ぎようがない"としていますが、それは言い過ぎかな、とも思います。
ただ、確かに事実として防ぎようがなかったんだと思います。
なぜなら"調整しているのをみたプレイヤー"と
交流(情報の共有)をして、対処なりなんなりをしなかったのだろうから。
これは現場を見てないから断言は出来ないけれど、
"みた"としか書いてないから、
プロとみた側の両者は非接触なのだろうと過程して。

日本人特有の、空気を読む。という所作がありますが、
交流さえままならない人間間では不可能です。
やはり会話がコミュニケーションの基本ですし、
かといって事務的形式的なものに傾向するのではなく、
気軽に気楽に誰とでも話し合えるような環境であってほしいです。
それが試合に勝つ秘策であり、プレイヤーを増やす秘密であり、
ゲームが流行る秘訣だと思います。

コメント

kaoru
kaoru
2010年9月7日3:09

読んだので寝ます。お疲れ様でした。

ΩWeapon
ΩWeapon
2010年9月7日23:08

家族にバレたんで垢変えます

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